2008年06月13日
夜の大学
実は朝も早くから開門している大学ですが、
夜も結構遅くまで開門しています。
閉門が何時だか未だによく分かっていないのですが
取り敢えずの、研究室の門限は11時です。
夜の大学はこんな感じ。

これが大学院の授業がある大学院棟です。
1階の溜まり場にはまだ意外と沢山の人が。
ゼミやサークルの集まりかと思われます。
図書館ももちろんまだ開いているので、

こんな感じ。
オレンジ色の灯りを見るとホッとします。
そして、守衛さんのいる正門を抜けて自宅へ。

この風景にも随分慣れました◎
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夜も結構遅くまで開門しています。
閉門が何時だか未だによく分かっていないのですが
取り敢えずの、研究室の門限は11時です。
夜の大学はこんな感じ。

これが大学院の授業がある大学院棟です。
1階の溜まり場にはまだ意外と沢山の人が。
ゼミやサークルの集まりかと思われます。
図書館ももちろんまだ開いているので、

こんな感じ。
オレンジ色の灯りを見るとホッとします。
そして、守衛さんのいる正門を抜けて自宅へ。

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2008年06月12日
ここで早慶戦が?
大学院生になってから、
大学にいる時間がぐーんと増加しました。
合間に、やれご飯だのやれ買い物だの授業だのと
大学周辺をうろつくことも多くなりました。
そこで、撮ってきました!!
大学周辺の様子を写真付きでご紹介します。
本日はここ、綱町グラウンド!!

三田キャンパスで体育を履修しようとすると、
このグラウンド周辺にある武道場やテニスコートに
お世話になることになります。
写真には写っていませんが、
右手には東京タワー、左手には六本木ヒルズ
が見えます★景色だけはちょっとリッチ。
その証拠にほら、

グラウンドに向かう途中、
マンションの間からは常に東京タワー!…の先っちょ。
うーん。都会やわぁ。
グラウンドの入り口には

ひっそりと「早慶戦100周年記念」の記念碑が。
夏に公開される映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」、
その元になった本当の試合が行われた場所らしいです。
(最後の早慶戦自体は別の場所で開催されたそうです)
青い空の下、グラウンドで無心に白球を追いかける若者たち。1943年、太平洋戦争が彼らから青春の日々を奪おうとしていた。「野球は敵国アメリカのスポーツだ」と六大学野球が廃止、さらに学生に対する徴兵の猶予が停止、彼らはバットを捨て、銃をとらねばならないのだ。
しかし、早稲田大学野球部顧問の飛田穂洲は、出陣のその日まで学生たちと野球を続けると誓う。野手の戸田順治は、厳格な父から「この非常時に」となじられたが、志願した兄の「戦争は俺に任せて、お前は野球をやれ」という言葉を胸に練習に励む。「試合がしたい」選手たちの願いは、ただそれだけだった。
ある日、慶応義塾塾長の小泉信三が、飛田に「早慶戦」を申し込む。二度と帰れないかもしれない若者たちに生きた証を残してやりたい──小泉の切なる願いを飛田も喜んで受けとめるが、早稲田大学総長は頑として拒絶する。飛田の強行突破で、遂に幕を開ける早慶戦。それは、別れであると同時に、明日への希望に満ちたゲームだった……。
(公式ホームページから抜粋)
今はひっそりしているこの場所にも
歴史があったんですねぇ。しみじみ。
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合間に、やれご飯だのやれ買い物だの授業だのと
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そこで、撮ってきました!!
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本日はここ、綱町グラウンド!!

三田キャンパスで体育を履修しようとすると、
このグラウンド周辺にある武道場やテニスコートに
お世話になることになります。
写真には写っていませんが、
右手には東京タワー、左手には六本木ヒルズ
が見えます★景色だけはちょっとリッチ。
その証拠にほら、

グラウンドに向かう途中、
マンションの間からは常に東京タワー!…の先っちょ。
うーん。都会やわぁ。
グラウンドの入り口には

ひっそりと「早慶戦100周年記念」の記念碑が。
夏に公開される映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」、
その元になった本当の試合が行われた場所らしいです。
(最後の早慶戦自体は別の場所で開催されたそうです)
青い空の下、グラウンドで無心に白球を追いかける若者たち。1943年、太平洋戦争が彼らから青春の日々を奪おうとしていた。「野球は敵国アメリカのスポーツだ」と六大学野球が廃止、さらに学生に対する徴兵の猶予が停止、彼らはバットを捨て、銃をとらねばならないのだ。
しかし、早稲田大学野球部顧問の飛田穂洲は、出陣のその日まで学生たちと野球を続けると誓う。野手の戸田順治は、厳格な父から「この非常時に」となじられたが、志願した兄の「戦争は俺に任せて、お前は野球をやれ」という言葉を胸に練習に励む。「試合がしたい」選手たちの願いは、ただそれだけだった。
ある日、慶応義塾塾長の小泉信三が、飛田に「早慶戦」を申し込む。二度と帰れないかもしれない若者たちに生きた証を残してやりたい──小泉の切なる願いを飛田も喜んで受けとめるが、早稲田大学総長は頑として拒絶する。飛田の強行突破で、遂に幕を開ける早慶戦。それは、別れであると同時に、明日への希望に満ちたゲームだった……。
(公式ホームページから抜粋)
今はひっそりしているこの場所にも
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